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千葉地方裁判所 昭和50年(ヨ)148号 判決

八九号事件債権者 蔵谷克彦 外五名

一四八号事件債権者 葛西珪 外五名

債務者 旭硝子株式会社

主文

一  債権者渡辺高行が債務者に対し昭和四九年一〇月一五日以後三か月ごとに債務者による更新拒絶がない限り期間の定めを三か月とする労働契約が更新される労働契約上の権利を有することを仮に定める。

二  債務者は債権者渡辺高行に対し、金六万九一六一円および昭和五〇年五月以降第一審本案判決言渡に至るまで毎月二八日限り一か月金一三万八三二三円の割合による金員を支払え。

三  債権者渡辺高行のその余の申請およびその余の債権者らの申請をいずれも却下する。

四  申請費用中、債権者渡辺高行と債務者との間に生じた分は債務者の負担とし、その余の債権者らと債務者との間に生じた分は同債権者らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  債権者ら

1  債権者らが債務者の従業員たる地位を有することを仮に定める。

2  債務者は債権者らに対し、昭和五〇年三月以降毎月二八日限り本案判決確定まで別紙賃金一覧表記載の金員を支払え。

3  申請費用は債務者の負担とする。

二  債務者

1  債権者らの申請を却下する。

2  申請費用は債権者らの負担とする。

第二債権者らの申請の理由

一  当事者

1  債務者は、わが国最大の板ガラス・テレビガラスバルブ等の製造販売を目的とする株式会社である。

2  債権者らは、昭和四八年四月から同四九年八月までの間に、主としてテレビガラスバルブを製造している債務者会社船橋工場に契約期間三か月の有期工又は季節工(以下原則としてまとめて臨時工という。)の名称で採用された同会社の従業員であり、三か月を経過するごとに労働契約の締結を繰り返していたが、各人の第一回契約日、所属職場等は左記表記載のとおりであり、雇止め前過去三か月間の平均賃金は別紙賃金一覧表記載のとおりである。

氏名

第一回契約日

資格

職場

蔵谷克彦

48・5・11

有期工

第一製造課第一検査バルプ検査係

松信 健

49・8・13

有期工

第一製造課第一成型係ピンシール

池田勇二

48・4・20

季節工

第二製造課第二成型係スピンナー

藤田直圀

48・7・24

季節工

第二製造課第二成型係スピンナー

兼城俊彦

48・8・2

季節工

第一製造課第一成型係フアンネル加工

菅原富士夫

49・4・18

季節工

第一製造課第一成型係ピンシール

葛西 珪

49・3・19

季節工

第二製造課第二成型係フアンネル加工

納谷 仁

48・6・12

季節工

品質保証課第二検査係パネル検査

早川 清

48・4・9

有期工

第二製造課第二成型係フアンネル加工

渡辺高行

49・7・4

季節工

品質保証課第一検査係カラーパネル検査

佐藤 栄

49・4・2

季節工

第一製造課第一成型係ピンシール

川村 敬

48・10・4

有期工

第二製造課第二成型係ピンシール

二  雇止めの通告

1  債権者蔵谷、同松信は、それぞれ第七回目、第二回目の契約期間満了日にあたる昭和五〇年二月一五日、債務者から呼び出され、「次回の契約期間は半月、二月二八日限りとする。」旨通告されたが、いずれもこれを拒否した。債務者は同日経過後右両名の従業員たる地位を否定している。

2  債権者池田、同藤田、同菅原は、それぞれ第七回目、第六回目、第三回目の契約期間満了時にあたる昭和五〇年一月三〇日、債務者から呼び出され、「次回の契約期間は一か月、二月二八日限りとする。」旨通告され、債権者兼城も、第六回目の契約期間満了日たる同年二月一五日、債務者から呼び出され、「次回の契約期間は半月、二月二八日限りとする。」旨通告され、いずれもこれを承諾した。債務者は同年二月二八日経過後右債権者らの従業員たる地位を否定している。

3  債権者葛西、同納谷、同早川、同渡辺、同佐藤、同川村は、契約期間内の昭和五〇年二月初旬から中旬にかけて、それぞれ債務者から呼び出され、「次回は契約を更新しない」旨通告された。債務者は債権者納谷につき第七回目の期間満了日にあたる同年三月一五日、同葛西につき第四回目の期間満了日たる同月三一日、同早川、同渡辺、同佐藤、同川村につきそれぞれ第八回目、第三回目、第四回目、第六回目の期間満了日たる同年四月一五日経過後いずれも右債権者らの従業員たる地位を否定している。

4  しかし、三以下に述べるように、債権者らと債務者間の労働契約は期間の定めのない契約であり、債務者が債権者らに対し雇止めとしてなした最終契約期間又は更新拒絶の通告はいずれも解雇の意思表示であり、しかもそれは無効であるから、債権者らはなお債務者会社の従業員たる地位を有する。

三  本件労働契約の性質

1  債権者らと債務者との本件労働契約は、次の理由により実質的・法律的には契約当初から期間の定めのない契約であつた。すなわち、

(一) 債権者らは、新聞紙上の臨時工の募集広告を見て応募したが、その募集広告には「三か月以上勤務可能な方」「明日ひらく旭硝子船橋工場」「安定した企業で豊かな生活」等の文言があり、また採用面接の際には担当者から「できるだけ長く勤めて欲しい。少なくとも三か月以上は勤めてもらいたい。」「一年以上勤めれば有給休暇が出る。」「形は三か月だが長く勤めている人はたくさんいる。」「三か月でやめさせられることは絶対にない。」などの説明を受けて採用された。

(二) 債務者は昭和四八、九年当時臨時工の定着率が悪いので、できるだけ長期間勤務する者を望んで頻繁に募集採用を繰り返していた。債権者らを含む臨時工は、その採用形式にもかかわらず一時的・季節的作業のために採用されたものではなく、恒常的業務のために採用されたいわゆる基幹臨時工であり、債務者会社船橋工場において全従業員中臨時工が二、三割を占め、これら臨時工が期間の定めない労働契約により雇用されている社員工(以下本工という)と混然一体となつて各職場に配置され、本工と質的に何ら差異のない業務に従事していた。

(三) 臨時工の労働契約更新は、反覆継続されることが常態化していた。更新手続は、債務者が契約満期の五日前にメモに類する簡単な書類をタイムカードにはさんで更新手続の目時・場所を通知し、集まつた臨時工に契約書・誓約書に署名、押印させ、満期慰労金を渡すことにより完了し、集団的機械的かつ簡単に行なわれていたもので、手続が遅れても特に問題とされることもなく(三か月遅れて二回分の更新手続を一度に行つた例すらある。)、本人が希望すれば何回でも更新できるという取扱いがされていた。その結果五年ないし一〇年以上も継続勤務している臨時工が多数存在し、昭和五一年一〇月現在の臨時工の平均勤続年数は九年であつた。

(四) 債務者は毎月初めに期間満了間際の臨時工がいても、それを一切考慮せず四直三交替の勤務日程等の勤務予定表を作成しており、また、四年間使用可能な臨時工の身分証明書を発行して一年毎に検印をして四年経過後には新たな身分証明書を再発行し、通用期間六か月の通勤定期券を一括購入して各臨時工に交付していた。このほか、債務者は、臨時工が一年以上継続勤務した場合には勤続年数に応じて年次有給休暇を付与し、そのうち計画年休を一年を四期に分けて各期毎に配分し、基本給基礎日額を一年毎(四回更新毎)に上昇するよう定め、また、臨時工から本工に登用する制度をもうけて本工中の一五、六パーセントを臨時工出身者から登用し、更に短期の期間の定めある労働者についてはその適用を除外されている失業保険・厚生年金保険・健康保険に臨時工を一律に加入させていた。かような臨時工制度の運用からみれば、債務者は臨時工の長期間勤務を望んでいたことは明らかである。

(五) 臨時工制度は季節的労働のように仕事自体が客観的に臨時性を有する場合、病欠者の後補充とか学生アルバイトのように主観的相対的な意味で仕事が臨時的である場合にのみその合理性を認め得るのであつて、それ以外の場合に使用者は臨時工として労働者を雇用することは許されない。債務者が臨時工制度を設けたねらいは、第一に企業の生産活動に不可欠な人員を確保しつつ、いつでも必要に応じて整理でき、第二に賃金・年次有給休暇等の労働条件において本工より劣悪な条件で働かせうる人員を確保し、あわせて本工を含む労働者全体の労働条件を低水準に押えこみ、第三に差別された労働者集団を作り出すことによつて労働者を分断し、団結を阻止しようとするものであり、臨時工制度は、労働者の生活の権利を無視した反社会的・反人権的制度で、いわゆる解雇権の濫用の法理を免れようとするものであるから、本件労働契約の短期の定めは民法九〇条、労働基準法三条に違反し無効である。

(六) 以上述べたような契約締結経緯、担当業務内容、契約更新の常態化、長期勤務を前提とした制度の運用の実情、短期の定めの無効性等からみれば、債務者会社の臨時工契約は当初から期間の定めのない契約と認めるべきである。

2  仮に、債権者らと債務者との本件労働契約が当初は期間の定めのあるものであつたとしても、その後更新された契約は期間の定めのないものである。

すなわち、債権者らが少なくとも一回は更新手続を経て試用期間的性格を有する最初の三か月の期間を経過していることおよび前述のような債務者、債権者らの本件労働契約締結の動機、その経緯、臨時工の担当業務、更新手続の実態、臨時工の勤続年数、長期勤務を前提とした諸制度の存在を総合すれば、少なくとも本件雇止め当時においては期間の定めのないものに転化した。

四  雇止めの意思表示の無効

以上述べたとおり、本件労働契約は期間の定めのない契約であるから、債権者らに対する本件雇止めの意思表示としてなした最終契約期間の通告又は更新拒絶(新契約締結拒否)は解雇の意思表示と解すべきであり、その効力は解雇の法理により決すべきであるが、それは次の理由により無効である。

1  本件雇止めはいわゆる経営不振を理由とする整理解雇であるが、これは一旦労働者が労働契約によつて取得した従業員たる地位を労働者の責に帰すべからざる理由によつて一方的に失わせるものであるから一定の制約に服しなければならず濫用にわたつてはならない。しかるに、本件においては雇止めを行なわなければ債務者会社の維持存続が危機に瀕する程度にさし迫つた必要性が全くなく、従業員の配置転換や一時帰休制あるいは希望退職者の募集等労働者にとつてより苦痛の少ない方策によつて余剰労働を吸収する努力を何一つせず、債務者は本件解雇決定に先立ち、債権者ら臨時工に対し、その了解を求めるための努力もせず、雇止めの基準については昭和四八年一月以降の契約者(勤務年数二年未満)というだけで個別的検討が全くなされなかつたもので画一的かつ極めて安易な基準設定であつた。したがつて、本件雇止めは信義則に違反し、権利の濫用で無効である。

2  本件雇止めの真のねらいは合理化であり、経営不振のみがその理由ではない。

管球(テレビブラウン管用ガラスバルブ)部門の設備の機械化・省力化は債務者会社の一貫した基本方針であり、昭和四九年一〇月から同五一年一二月までの間に、設備の冷修機械化工事がなされた窯は、三〇窯、四〇窯(以上船橋工場)、五〇窯(高砂工場)であり、それによつて生じた余剰人員は五〇窯を除いても約一三〇人であり、業績如何にかかわりなく、右機械化工事による余剰人員をみこして本件雇止めがなされたものである。また、本件雇止め後から昭和五一年一〇月までの間に約二〇〇人の下請工が新たに採用され、臨時工の採用は全くなかつた。

以上のように債務者の右合理化の方針並びに臨時工と下請工の入替え(協力会社の活用)という長期的展望のもとに強行された本件雇止めは許されない。

五  仮に、本件労働契約が期間の定めのある契約であるとしても、前述のような本件臨時工制度の実態、債務者側の採用時の言動等により債権者らは「希望しさえすればいつまでも働ける」との期待感をいだいていた。しかるに本件のように安易な手続基準に基づき、しかも業務上の必要性さえ認められないで強行された雇止めは、債権者らの右期待及び生活権を著しく侵害するもので、労働契約上の信義則に反し、かつ権利の濫用であつて無効である。

六  債権者池田、同藤田、同菅原、同兼城については雇止め直前に期間を一五日間あるいは一か月とする労働契約書が作成されているが、右債権者らは一か月ないしは半月の労働契約を承諾しなければ継続して雇用しない旨債務者から強く言われたため、右期間で退職する意思はないにもかかわらず、継続勤務したいために受諾したものであつて、債務者も右債権者らの意思を十分承知していたのであるから、右各労働契約の期間の定めも民法九三条により無効である。

七  保全の必要性

そこで債権者らは債務者に対し、地位確認訴訟を提起すべく準備中であるが、債権者らはいずれも賃金を唯一の生活の糧とする労働者であり、雇止め以来各々、アルバイト、借金、仲間のカンパ等により最低限の生活をささえてきたが、昨今のインフレ・物価高のもとでの生活は容易なものではなく、また債権者らの雇止め問題を契機に結成された総評全国一般労働組合千葉地方本部旭硝子分会の組合員としての労働組合活動も大幅に制限され続けている。よつて、本案訴訟確定に至るまで、このまま放置されているわけにはいかず、ここに本件仮処分申請に及んだ。

八  債務者の主張に対する反論

債権者らは、債務者の本件雇止めが企業維持のためやむを得なかつた措置であつたとの主張に対し、次のとおり反論する。

1  (一) 雇止め当時の債務者会社の業績

本件雇止めの意思決定がなされたのは、昭和四九年一二月ないしは翌五〇年一月であるが、同四九年下期の債務者の純利益は四二億円の黒字であり、同年度の申告所得額は、全国八位であつた。また昭和四九年度の売上高も二三八六億円で前年度を三九二億円上回り(昭和四九年下期だけでも同上期より六四億円上回つた。)、同年下期の内部留保金については、六一二億円の巨額に達し、自己資本比率、借入金依存率とも同業他社に比較して健全であつて、同期の利益配当も同年上期を上回る二四億円余りであつた。管球部門についてみると、カラーバルブ生産が昭和四九年下期に、厳密にいえば同年一一月、一二月において減少したものの、これは船橋工場の四〇窯、高砂工場の五〇窯が当時冷修のため生産休止していたことから当然であり、右生産の減少をすべて業績不振と結びつけて評価するのは相当でない。

(二) 雇止め後の債務者会社の業績

本件雇止めがなされた昭和五〇年度の売上高は二四一八億円と伸び、翌五一年度には二九二一億円と一挙に伸び、内部留保金も着実に伸びを示し、純利益についても昭和四九年度の九八億円余を下回つたものの五七億余円であつた。またカラーテレビ業界では昭和五〇年二月頃から、すなわち本件雇止めの進行中に早くも不況からの脱出、需要回復が見込まれ、債務者会社のカラーバルブ部門でも同年度後半には月産六〇万個以上と過去最高の生産高を記録し、業績不振は遅くとも同年前半で終止符をうつたのである。

(三) したがつて、債務者の主張する「構造的不況」とは結局わずか数か月限りのものであり、企業の存続維持が危機に瀕する程度のものであつたとは、到底いえない。

2  債務者は、経営危機に直面して、これを打開するため残業規制等さまざまな措置をとつたと主張するが、右努力は名目にしかすぎず、本件雇止めという労働者にとつて最も苦痛の多い方法を回避するために行なわれたものでない。

残業規制については、昭和五〇年一月以降であり、実施時期が極めて遅いこと、実施職場が不統一であつたこと、規制時間が極めて小規模であつたこと、その時期には四〇窯の冷修で余剰人員があつたこと等から不十分であり、業務休も実施時期が遅く、対象も本工五〇〇名につき一人五日程度と当時の本工数九五〇名に鑑みると極めて低く、その他管理職の賃金カツト、本工の転勤(数名のみ)、組織統廃合等の諸方策も極めて不十分であつた。また臨時工に対して、転勤等は全くなされず、希望退職を募ることさえなされなかつた。

3  債務者は、昭和五〇年一月一六日に旭硝子労働組合に本件雇止めの意向打診をしたものの、右組合は本工組合で臨時工は組織されておらず、本件雇止めの対象となつた臨時工に対しては事前の説明はもとより、納得を得る努力は全くなされなかつた。

4  債務者は勤続二年未満ということを唯一の基準として本件雇止めを行なつたが、この基準は何ら合理的根拠もない。勤続年数の長いものでも勤務成績不良者を人選した方がより合理的である。なお、債務者は債権者ら雇止め対象者にわずか一五万円支払つたのみで、雇用対策法に定める職業安定所の就職斡旋の活用すら不十分であつた。

第三債務者の答弁並びに主張

一  申請の理由一および二の認否

1  申請の理由一の事実は認める。

2  同二の1の事実のうち、債権者蔵谷の第七回目の契約期間満了日、同松信の第二回目の契約期間満了日が昭和五〇年二月一五日であること、債務者が同日経過後右両名の従業員たる地位を否定していることは認めるが、その余は争う。債務者は債権者蔵谷に対し同年一月二七日、債権者松信に対し同月二八日に終期を同年二月末日とする新契約締結の申込みをしたが、右両名はこれを承諾しなかつたので、同年二月一五日の経過により右両名は債務者会社の従業員たる地位を失つた。債務者は右両名に対し予告手当を提供した。同2及び3の事実は認める。同4の事実は否認する。

3  債権者らはいずれも契約期間満了又は債務者による雇止めにより債務者会社の従業員たる地位を失つたのである。

二  申請の理由三に対する認否、反論および臨時工制度について

本件労働契約が契約当初から期間の定めのない契約であるとの主張は争う。

1  三、1、(一)の事実のうち、採用面接の際担当者が「形は三か月だが長く勤めている人はたくさんいる。」「三か月でやめさせられることは絶対にない。」等の説明をしたとの点は否認し、その余の事実は認める。債務者は、本工が原則として終身雇用であるため慎重な採用手続で採用しているのに対し、後に述べる趣旨のもとに採用することとした臨時工はごく簡単な常識テスト、面接及び身体検査だけで、保証人も必要なく面接担当者(労務課員)の即決で、採用しており、募集広告においても、臨時工が終身雇用の本工とは異なり、三か月毎に慰労金が支給される有期のものであることを明示し、応募者に説明する際にも臨時工と社員工の違いを対比し、臨時工でも希望があれば契約が更新される余地があることを述べただけで、長期にわたる勤務を保証するような言動はしておらず応募者に臨時工を勧めるようなことはしなかつた。したがつて、債権者らは、当然臨時工が三か月の期限付であることを知り、社員工との利害得失を考慮したうえ応募したものである。

同(二)の事実は否認する。例外はあるものの、基本的には調合、熔解、諸機械の調整、機械・動力の保守等の熟練技術を要する職種は本工が、右以外の運搬、選別、炉入れ、切断等熟練を要しない単純な職種(将来、機械化、省力化の予想される職種)は臨時工が従事していたのである。

同(三)の事実は否認する。債務者は、現行契約満了一か月前に稼働計画、所属長の意見等を考慮して適格者か否かを決定し、成績不良者等不適格者については、新契約を締結しなかつた例がしばしばあつたが、昭和四〇年及び同四六年の不況期には大量の臨時工と新契約を締結しなかつたことがあり、常に臨時工が希望すれば新契約が締結されたという状況にはなかつた。新契約の締結については、旧契約の期間満了日に各臨時工に労務課への出頭を求め、新契約書及び誓約書に署名捺印してもらつており、その際満期慰労金が支払われることもあつて期間満了日における新契約の締結は励行されていた。また、臨時工の定着率は極めて悪く、昭和四八年度においては、六か月未満で退社する者が七三パーセントに達しているのであり、なかには一〇年余も勤務している者もいるが、これは例外的存在に過ぎない。

同(四)の事実は本工登用制度の存在を除いて認める。債務者会社では、前記のように臨時工と本工を別々に募集しており、一定期間臨時工を経験しなければ本工に登用しないような制度として臨時工を設けているわけではなく、臨時工から本工になるには別に本工採用試験を受けて合格することを要するし、右受験を希望する者は少なかつたものである。(なお債権者らは一度も右受験を希望したことはなかつた。)契約回数四回毎に基本日額を若干アツプさせているのは、採用費用をかけないで作業経験者を再採用できることに対する会社の配慮であつて、臨時工制度発足当初からの仕組みではなく、「昇給」額は終身雇用を前提とする本工の昇給額と比較して、金額的に大きく異なり、一般的な意味での「昇給」ととらえることは誤りである。各種保険制度は、法に照らして当然のことであり、勤務予定表、有給休暇制度、定期券等は、効率的な編成の確保、各従業員の予定の明確化、事務簡素化のために債権者ら主張のようになされているものであつて、債務者が当然契約更新を予定していたものと考えるのは失当である。また、債務者は短期間勤務する臨時工に有利な制度を設けている。すなわち、本工は月給制で賞与や退職金の支給があるが、臨時工は日給制で、三か月勤続したものには退職金ないしは餞別の趣旨を有する満期慰労金が支給され、皆勤手当、精勤手当も支給される。また臨時工の初任給は、本工のそれよりも高額に設定されており、前記のように一年毎に日給額も増額されるが、その昇給率は僅かで本工に追い越される形となるのである。

同(五)および(六)の事実は否認する。

2  申請の理由三の2は争う。

3  債務者の船橋工場における臨時工制度は、債務者がテレビという国民の消費動向に左右されやすく好不況の影響を最も受けやすい商品の素材であるブラウン管用バルブを生産していたため、その受注変動も大きく、安定した生産計画による生産が望めず、かつブラウン管加工メーカーが常に新しい機種・規格を求めるため、受注の不安定を在庫で賄うことが困難であること、バルブ製造がその製造工程の中に多くの単純反覆作業を含み、この作業は将来自動化・機械化することが期待されること等を理由として、遊休している中高年齢層、近隣農業者を対象に発足したのであり、前述のように臨時工について本工と異なる給与休系を定めて優遇しているのであつて、債務者は低賃金労働力を求めるためにこのような制度を定めたものではない。また、債務者は債権者らと労働契約を締結する際、終期を明示しており、債権者らも、期間の定めのある労働契約であることを十分認識し、短期であるが本工の初任給よりも高賃金が得られるものとして契約を締結したのである。したがつて、本件労働契約は、使用者である債務者の必要性と労働者である債権者らの利益に根ざす自由なる意思の合致により締結されたものであるから、雇用期間を三か月とする定めは民法九〇条、労基法三条等に違反するものではなく、契約当初より期間の定めのないものであるとの債権者らの主張は理由がない。

三  申請の理由四ないし六の認否および雇止めの必要性

1  申請の理由の四ないし六の事実は否認する。

2  債務者が債権者ら臨時工と新契約を締結しなかつたことは、次に述べるように企業維持のためやむを得なかつた措置であつた。

(一) 昭和四八年秋にはじまつた石油シヨツクの影響は、日本経済全般なかでも家電業界その中でも特にカラーテレビ販売部門においては深刻であり、このような需要の低迷と出荷の減退はテレビの高普及率という構造的要因に基づくもので長期に及び早期に回復することは極めて見込薄であると本件雇止め当時一般に予想された。それに伴いテレビ管球の需要も著しく低下し、債務者会社でも昭和四九年六、七月まで月産五〇万個を維持してきたカラー用バルブの生産高は、同年九月三九万個、一〇月三四万個、一一月二二万個と減少し、一二月及び同五〇年一月には各二四万個と減少した。そのため債務者会社船橋工場でも生産量の減少、稼働率の低下を余儀なくされ、同工場に設置されている四基の熔解タンク(窯)のうち、昭和四九年一〇月以降四〇窯が冷修作業のため運転を中止し、その再開を見合せていたが、残り三基の窯でも操業率が著しく低下し、膨大な損失が発生したため、更に二〇窯、三〇窯、一〇窯の操業停止を検討し、同五〇年一月に至り同年三月からは従事する作業員の少ない一〇窯の操業も中止する方針を確定した。右四〇窯、一〇窯の操業停止により、後に述べる他の方策をとつてもなお二〇〇人の作業員が過剰となることが明らかとなつた。また債務者会社は全社的にみても、財務内容は急速に悪化し、各部門とも操業率が低下し過剰人員を抱えていた。

(二) もちろん債務者会社船橋工場では、右経営危機に直面しこれを打開するため最善の努力をしてきた。すなわち、昭和四九年九月から本工・臨時工とも新規採用を中止し、時間外就業を縮減し、同五〇年一月からその徹底をはかり時間外就業を減らし、成績不良の臨時工との新契約を取りやめ、余剰人員を本社及び他工場に転勤、応援させ、組織を改正して管理職の数を減らし、更に管理職の賃金カツトを実施したほか、船橋工場としては初めての本工の業務休を実施したが、右二〇〇名の過剰人員のうち、自然減が考えられる七〇名を差し引いた一三〇名を消化することができなかつたのである。ちなみに前述のように債務者会社の他部門も不況であり、また臨時工制度は、船橋工場に特有のものであつたので臨時工の転勤は考えられなかつた。

(三) 本件雇止めを含む債務者会社の右措置については、本工等で組織する旭硝子労働組合船橋支部が、当時の社内外の困難な情勢に照らしやむを得ないものと了承し、また右雇止めの対象となつた一三〇余名も債権者らを除き、すべて会社の措置を了承して退職した。

(四) 新契約取りやめの対象者としては、新契約締結を希望する臨時工にとつては好ましいものではないので、会社に縁の薄い契約回数の少ないもの、つまり昭和四八年一月以降に採用した臨時工という基準をたてたが、契約締結の取りやめにより急に職を失うことを避けるため、同五〇年一月下旬に同月末日及び同年二月一五日の契約終了者については一か月または一五日間の労働契約を結ぶこととし、これらの短期契約者にも満期慰労金を支給することとした。また右契約取りやめ対象者については一時金一五万円のほかに帰郷旅費を支給する等の配慮をするとともに、就職斡旋にも努力をした。

四  債権者ら主張の保全の必要性は争う。

五  従つて、本件仮処分申請は却下さるべきである。

第四証拠〈省略〉

理由

一  当事者および雇止めの通告について

債務者はわが国最大の板ガラス・テレビガラスバルブ等の製造販売を目的とする株式会社であり、債権者らは昭和四八年四月から同四九年八月までの間に主としてテレビバルブを製造している債務者会社船橋工場に契約期間三か月の臨時工として採用された同会社の従業員であり、三か月を経過するごとに労働契約の締結を繰り返していたが、各人の第一回契約日、所属職場等は債権者らの主張する申請の理由一の2の表記載のとおりであつて、雇止め前過去三か月の平均賃金が別紙賃金一覧表記載のとおりであること、債務者が債権者池田、同藤田、同菅原に対し、契約期間満了日である昭和五〇年一月三〇日、同兼城に対し、契約期間満了日である同年二月一五日に、いずれも同月二八日限りの新契約を申し込み、右債権者らがこれを承諾したところ、債務者は同月二八日経過後右債権者らの従業員たる地位を否定していること、債務者が債権者葛西、同納谷、同早川、同渡辺、同佐藤、同川村に対し、契約期間内の同年二月初旬から中旬にかけて、それぞれ次回は契約を更新しない旨通告し、債権者葛西につき同年三月三一日、同納谷につき同月一五日、同早川、同渡辺、同佐藤、同川村につき同年四月一五日の各契約満了日経過後右債権者らの従業員たる地位を否定していること、債務者が同年二月一五日経過後債権者蔵谷、同松信の従業員たる地位を否定していること、以上の事実については、いずれも当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一、第二号証および証人小川正博の証言によれば、債務者は、後記四の1により疎明された会社経営悪化を理由とする同2の(二)の措置として、昭和五〇年一月二七日債権者蔵谷に対し、同月二八日債権者松信に対し、同年二月一五日をもつて満了する右両名との労働契約につき期間を同月一六日から同月二八日までとする労働契約を締結し、以後更新をしない旨の雇止めの意思表示をしたところ、両名ともこれを拒否したので、同年二月一五日両名に対し同日をもつて両名との労働契約が終了することおよび労働基準法二〇条所定の解雇予告手当を支払うことを通知したことが認められる。

二  債権者らと債務者間の労働契約について

1  当事者間に争いのない事実と成立に争いのない甲第五、第六、第二〇、第三八、第三九、第五三、第六〇号証、乙第一ないし第一四号証(各号証の枝番の書証も含む)、第一六、第二一号証、第二六号証の一、二、第二七ないし第二九号証、第三一号証、第三三号証の一ないし一一、証人佐藤健の証言により真正に成立したと認められる甲第七八号証の一、二、第八八号証、証人田村忠臣、同多田羅正一、同小川正博、同今関一、同宗像正男の各証言、債権者藤田直圀、同佐藤栄の各本人尋問の結果を総合すると次の事実を一応認めることができる。

(一)  船橋工場は昭和三〇年開設され、前記のようにテレビのブラウン管用バルブの生産を主体としていたが、テレビは好不況の影響を受けやすい商品であり、その部品であるブラウン管用バルブの受注変動が大きいため、安定した生産計画が樹てにくく、また、ブラウン管加工メーカーが常に新しい機種、規格を求めるため、受注の不安定を在庫調整によりまかなうことも困難であつた。加えて、バルブ製造工程には単純な反覆作業が多く、自動化、機械化の必要に迫られながらその実現が遅れていたが、その作業の単純性の故に労働者の定着率が悪く、特に若年労働者からは敬遠され勝ちであつた。債務者会社は、かように受注が安定せず、かつ労働力の定着性を欠く職場に期間の定めのない労働契約により雇用された従業員(本工)をもつて全面的にあてることは企業管理上好ましくないと判断し、船橋工場限りの制度として、昭和三四、五年頃からその要員を短期労働を希望する遊休労働者に求めることとし、かくて、雇用期間を三か月とする有期工制度が発足した。船橋工場では当初千葉県下の中高年を求人対象としたが、休耕農業従事者、予備校生にまでその対象をひろげ、また、求人域も周辺都県におよぼし、その後季節的に東北地方から出稼ぎにくる労働者をも採用するようになつた。この最後の事例が季節工と呼ばれる臨時工である。

これら臨時工につき契約更新が行なわれていたことは後に述べるとおりであるが、臨時工の離職率は高く、本件雇止めの対象とされた昭和四八年採用の前年である昭和四七年採用者二〇二名についてみると三か月未満の退職者累計が全体の五〇・五パーセント、六か月未満の退職者累計が全体の六四・九パーセント、九か月未満の退職者累計が全体の七五・二パーセント、一二か月未満の退職者累計が全体の八一・二パーセントに達していた(他の年度についてもほぼ大同小異である)。反面契約更新を繰返し五年以上一〇年以上(最長は昭和五二年一〇月一日現在で一七年六月)も勤続する臨時工もあつた。

(二)  本工および臨時工の採用は新聞に募集広告を併記して掲載して同じ日時に採用試験を行なうことが多く、有期工募集を例にとれば、右広告に「有期工」の表題のもとに「年齢一八~四五歳まで」「三か月以上勤務可能な方」を採用条件のひとつとして明示し、初任月収額および後に述べる満期慰労金の額(いずれも一律)を記載し、応募者に対し簡単な常識問題による筆記試験、身体検査、労務課員による面接を行ない、採否は面接担当者により実質上その日のうちに決定されていた。採用が決まつた臨時工は、期間を三か月とし(但し期間の末日は毎月一五日又は毎月末日とされた)、債務者会社は期間中であつても臨時工が就業に不適当な場合又は業務上の都合により解雇することができる旨の記載ある所定の労働契約書および誓約書に署名捺印してこれを債務者会社に交付した。

本工募集については、右広告に「正社員」の表題のもとに、年齢「一八歳~三五歳」を採用条件のひとつとして明示し、年齢に応じて一八歳、二五歳、二七歳と各別に初任月収額を記載し、応募者に対し筆記試験、身体検査、労務課員による面接を行なつた後、採否は、労務課長がその能力、適格から判断して予定された配置先の課長と協議しその意見を参考にしたうえで決定しており、右決定までには一週間ないし一〇日の日時を要していた。しかも、採用後三か月間は試用期間とされ、同期間経過後適格性を承認された者が正式の本工としての身分を取得していた。

このように本工および臨時工の募集は同時に右のように併記した新聞広告でなされるため(有期工のみの募集の場合もその広告末尾に「正社員同時募集、入社員は相談に応じます」と掲載されていることもあつた)、応募者は自らそのいずれかを選択して応募し、かつ面接の際臨時工応募者に対し、雇用期間が三か月であり、期間満了の際に満期慰労金が支給される旨の説明がなされていた。また、採用にあたり、債務者会社は本工には身元保証人を付することを求めていたが、臨時工にはこれを求めていなかつた。

採用後臨時工は一週間程度の技術教育を受けて直ちに就業していたが、本工の場合は就業に先立ち、労務課で一週間一般的な社員教育を受けた後各配属職場において専門的見地からの広範囲な技術指導を受けていた。

臨時工の中で本工への採用を希望する者は本工の欠員状況に応じて実施される採用試験を受験し(その程度は一般の本工採用試験の場合と変らない)、合格した場合にはじめて本工となるのであり、本工採用後労務課および配置各課において改めて社員教育を受けた後本工として就業している。因に、昭和五〇年一月当時約一〇〇〇名の本工中、臨時工から採用されたのは一五〇名ないし一六〇名であり、一回の採用試験受験希望者は臨時工五〇〇名中約二〇名程度であつた。

(三)  初任月収を昭和四八年七月の時点を例にとつて比較すると、臨時工の場合は職種に応じた基本日額を基準として算出され、その額は職種に応じ年齢を問わず九万一〇〇〇円から九万六〇〇〇円であるのに対し、本工の場合は一八歳で七万七四八一円、二五歳で八万二四二七円、二七歳で八万五七二四円と年齢に応じて差等が設けられている。また、臨時工は本工とは異なり一定の期間の勤続を前提とする退職手当、支給時期の定めのあるボーナスの支給を受けなかつたが、それに代わるものとして雇用期間満了の際満期慰労金の支給を受けており、その額は前同時期において五万二〇〇〇円であつた。但し季節工については出稼労働者が多く三か月の雇用期間満了前に退職する者もあつたため、債務者会社は希望に応じ満期慰労金の代りにその一部を基本給に加算する形で支給していた。

(四)  臨時工については右のとおり有期のものとして採用されているが、後に述べるように期間の更新ということも少なからず行なわれていたため債務者会社は契約回数(四回更新、すなわち一年に一回)に応じ基本日額を増額する措置をとり有期工賃金規則および季節工就業規則にはこれを具体的数額をもつて定めていた(臨時工募集の新聞広告に「昇給あり」との記載はこの趣旨をあらわすものである)。

また、臨時工であつても契約を更新して雇用期間が一年以上となると年間一〇日間の有給休暇が与えられていた。更に第一回契約の臨時工も各種社会保険加入の措置がとられ、四年間使用可能な身分証明書の交付を受け、通用期間六か月の通勤定期券を支給されていた。

このほか、本工、有期工、季節工の契約関係はそれぞれ別個に制定された就業規則により処理されていた。

(五)  バルブ製造に従事する本工と臨時工の担当業務をみると、調合、溶解、成型のオペレーター、研磨マシンのオペレーター(整備)、製品検査の一部、包装検査のように熟練を要するものは主として本工が担当し、成型の運搬部門、製品を研磨マシンにのせる作業、外観検査、寸度検査、製品検査の一部のように比較的単純で熟練を要しない代替性あるものは主として臨時工が担当していた。しかし、オペレーターのように単に熟練だけでなく技術をも要する部門は別として、他の業務の担当は必ずしも固定的なものではなく、両者とも同一職場においてこれら業務に従事しており、債務者は、毎月初め当月内に期間が満了する臨時工がいる場合であつても、その者の就労を予定した四直三交替の勤務指定表を作成していた。

(六)  各臨時工の契約期間満了一か月前に、労務課長は各人の直属課長作成の成績査定表を検討のうえ、契約更新を不相当と認める者に対しては、事前に該当者にその旨を告知し契約期間満了による雇用契約終了の措置をとつていた。このように勤務成績上の理由から契約更新がなされないのは事例としては少ないが概ね毎回の更新の都度みられた。また、東京オリンピツク直後の昭和四〇年およびいわゆるニクソンシヨツクによる昭和四六年の経済界の不況時に会社の経営事情を理由として多数の臨時工の契約更新が拒絶されたことがあつた。このように債務者会社側において期間が満了する臨時工につき特に契約更新を妨げる事情がないと判断した場合には、期間満了の五日前に、該当者に対し書面により期間満了の旨を伝えると共に出頭日時を指定して「新たに労働契約を締結する希望のある場合は下記のとおり御足労下さい」との通知を発し、出頭した契約締結希望者に対し満期慰労金を支払うと共に新たに第一回契約の場合と全く同じ書式の期間を三か月とする労働契約書および誓約書に署名捺印させてこれを提出させていた。右更新の手続は概ね前契約の期間満了までに行なわれていたが、事務上の都合で若干右期日より遅れることもあつた。

2  以上疎明された事実を基礎に船橋工場の臨時工契約の法的性格を検討する。

(一)  前記事実によれば、労働契約締結にあたり、何よりも契約期間が三か月と明示されていること、労働契約の要素である労働者による労務提供と反対給付たる使用者による賃金支給という観点から臨時工契約をながめた場合提供すべき労務のために代替性ある業務が予定されており、短期的に観察する限り本工より高額の初任月収が支給され、期間満了の際には更新の場合であつても退職金的性格を有する満期慰労金が支給されていることに照らせば、臨時工契約は基本的には短期の有期契約としての性格を有することは明らかである。このことは、採用対象者の年齢層が広く採用手続が簡略で役職者でない面接担当者の判断により実質的に即日採否が決せられていること、契約締結にあたり保証人を付することが求められていないことなどの事実によつても裏付けることができる。

しかし、他面において、契約期間満了後債務者側の必要に基づく幾多の更新事例があり、債務者会社も更新を予定して臨時工に対し前記1の(四)のような取扱いをなしており、また、本工と同じ業務に従事する臨時工もあり、更新の前後を通じその就労形態に特段の変更がないこと、更新すべきか否かについては債務者会社内部で慎重に検討されるが、一旦更新を決定した労働者に対する更新手続は形式的なものにとどまつていたことなどの事実からみれば、臨時工契約が制度的にも、また、運用面でも当初から継続的性格をも有していたことは否定し得ない。

(二)  このようにみてくると、船橋工場における臨時工契約は、基本的には期間を三か月と定めた有期の労働契約であるが、三か月を経過した時点で債務者会社において特に更新拒絶の意思表示(以下雇止めとはこの意味において用いる)をしない限り、期間を三か月とし就業規則で定められた契約回数に応じた賃金支給を内容とする労働契約の締結が反覆継続されることが当初から予定されていた法律関係であるということができる。その意味では一種の期間の定めのない契約であるといつて差支えなく、雇止めに関しては、(イ)労働基準法二〇条所定の手続を履行することが必要であり、また、(ロ)それが不当労働行為意図、思想信条による差別意図実現のためのみになされたり、又は(ハ)社会観念上明白に不当な理由のもとになされた場合にはその雇止めの意思表示は無効なものとして、その意思表示がなかつた場合と同じく契約更新の効果が生ずるものと解するのが相当である。但し、既に述べたように臨時工契約が基本的には短期的有期契約としての性格を有するものである以上雇止めにあたり使用者は本人の勤務成績のほか、過去昭和四〇年および昭和四六年の二回の事例のごとく景気の動向、会社の経営事情その他企業運営の必要性を広く勘案してその要否を決することができると解すべきであるから、この観点に立つて右の(ハ)の場合の効力につき判定すべきである。もとよりこのように使用者側に雇止めにつき幅広い裁量を認めてもそれは使用者の恣意を許すものではなく、労働者側の事情、特に家庭状況、補償措置、更新回数等を勘案してその効力を検討しなければならない(更新回数を考慮するのは、更新が重なればその実質において一般の期限の定めのない契約に近似してくるし、労働者側においてもその賃金収入に対する生活の依存度が高くなるものと推認し得るからである)。

(三)  船橋工場には既に述べたように本工は一般の期間の定めのない労働契約により雇用されているが、臨時工契約が基本的には短期的有期契約としての性格を有するものであるから、これに更新継続を認めたとしても、その雇止めにつき、本工契約における解雇基準よりゆるやかな運用になるもやむを得ないものというべきであり、両者間にこのような差異があるからといつて、臨時工契約を民法九〇条、労働基準法三条により無効であるということはできない。すなわち、労働契約において期間を定める場合は一年を超えることが許されないのであるし(労働基準法一四条)、本件の臨時工契約における期間の定めは短期的収入を目的とする労働者にとつて有用であり、現に証人小川正博の証言によれば、アルバイト目的、他の具体的計画実現までの一時的就職として臨時工契約が利用された事例が多いことが認められる(現に成立に争いのない乙第一六号証、債権者藤田直圀本人尋問の結果によれば、昭和四八年七月二四日採用の同債権者は他に就職できるまでのつなぎとして、昭和四九年四月頃まで勤務する予定で応募したことが一応認められるのであり、また、前記のとおり臨時工の離職率が高いことは、それがすべてであるとまではいわないまでも、かかる労働者が少なからずいたことを示す証左ともいえる)。そうであれば、臨時工契約の期間の定めは単に使用者側の利益のためにもうけられたのではなく、短期的収入を望む労働者の需要に応ずる役割も果たすものとして存在しており、既に述べたように債務者会社は短期的性格を前提として本工より高額の初任月収の支給、満期慰労金の支給等の配慮をなし、また、本工登用への途も開いているのであるから、臨時工契約はそれ自体合理性を有するものということができる。そして前記のとおり更新回数の多い臨時工に対する雇止めについては個別的にその点を配慮して効力を判断すれば足るものというべきである。

なお、前掲甲第五、第六号証、乙第二六号証の一、二、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第九〇ないし第一〇〇号証、債権者藤田直圀、同佐藤栄の各本人尋問の結果によれば、臨時工採用にあたり船橋工場労務課担当者が応募者に対し長期継続雇用の期待感をいだかせるかのごとき発見をし、募集広告にも類似の記載をしたことがうかがわれる。しかしながら、これらの言動および記事も採用後の勤務状態に特に問題がないとか、会社経営が一応健全であるとかいう極めて一般的事態を想定してのものとも受けとれるのである。のみならず、何よりも船橋工場の臨時工は、自ら、現実に期間の定めが明記された契約書に署名捺印し、前記のような短期的性格を示す労働条件を承認して労働契約関係に入つたのであり、しかも債務者会社には他に労働条件を異にした期間の定めない契約により雇用された本工が存在する以上(しかも前記のとおり多くの場合本工と臨時工は同時に新聞広告により募集されるのである)臨時工が本工と全く同様期間の定めない契約関係にあるものと認識していたものと考えることはできない。

三  債権者池田、同藤田、同兼城、同菅原に対する契約終了について

前記一において右四名につき争いのない事実および証人小川正博の証言によれば、右四名は各自が締結していた契約期間の満了日である昭和五〇年一月末日又は同年二月一五日に、債務者から、後記四の1に疎明された会社の経営悪化を理由とする同2の(二)の措置として、同年二月末日を終期とする一か月又は半月を期間とする労働契約を締結するが、右期間満了後は更新しない旨の申入れを受け、いずれもこれを承諾して、同年二月末日を終期とする労働契約を締結したことが一応認められる。したがつて、右四名については債務者との間に更新をしないことの合意を前提として同年二月末日を終期とする労働契約を締結したのであるから、同日の経過によつて右四名の労働契約関係は終了した。この点につき債権者らは最終の労働契約の期間の定めは民法九三条により無効である旨主張するが、右主張を認むべき疎明はない。

四  本件雇止めの効力

1  本件雇止めの必要性

当事者間に争いない事実と前掲乙第二九号証、成立に争いのない甲第三六、第七二号証、乙第一五号証の一ないし二一、第一七号証、第一九号証の一ないし四、第二〇、第二二、第二三号証の各一、二、第三〇号証、証人宗像正男の証言により真正に成立したと認められる甲第三一号証、証人田村忠臣、同多田羅正、同小川正博、同佐藤健(一部)、同宗像正男(一部)の各証言を総合すると次の事実を一応認めることができ、この認定に反する証人佐藤健、同宗像正男の証言は採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

昭和四八年秋にはじまつたいわゆる石油シヨツクの影響は家電業界特にカラーテレビ販売部門に波及し、需要の低迷と出荷の減退はきわめて深刻で昭和四九年夏頃から一部大手家電メーカーが帰休実施にふみ切つた。そして、同年一二月におけるカラーテレビの生産台数は前年同月比六八・四パーセントでほぼ四年前の水準にしか達せず、業界一般では同年末時点においてかかる不況は長期に及ぶものと予想していた。現に昭和五〇年一月の生産台数は同年同月比五九・八パーセント、同年二月の生産台数は前年同月比五七・五パーセントにとどまつた。かかる不況に伴なう生産減の影響を受け、債務者会社のテレビ管球部門も著しく需要が低下し、同四九年六、七月まで月産五〇万個を維持していたカラー用バルブの生産高は、同年九月三九万個、一〇月三四万個、一一月二二万個、一二月及び翌五〇年一月には各二四万個と減少傾向をたどり、エネルギー多消費型産業であることもあつて生産コストは約四〇パーセント上がり、船橋、高砂両工場の管球部門だけで同四九年九月から一二月の間で一一億円の、翌五〇年一月から六月の間で二七億円の赤字を記録した。そのため、債務者会社船橋工場でも生産量の減少、稼働率の低下を余儀なくされた。当時船橋工場には四基、高砂工場には二基のバルブ生産用熔解窯があつたが、債務者会社は、同四九年一二月各一基づつ止め、合わせて四窯による生産体制(四窯体制)を決定した。船橋工場では同年一〇月以降冷修のため停止していた四〇窯の再開を見合せていたが、三基の窯でも操業率が著しく低下したため翌五〇年一月になつて、同年三月から一〇窯を中止する方針を確定し、同月から停止した。同工場における右四〇窯、一〇窯の停止又はその予定により現場の作業要員約二〇〇人の余剰人員が生じることが明らかとなつた。船橋工場では、既に昭和四九年九月頃から減産を見越して本工、臨時工とも新規採用を中止し、更に前記のような減産状態が続くため、昭和四九年一二月から人員整理を検討していたが、右のように窯の停止により人員が余剰となることが判明したので、翌五〇年一月に至り、今後の自然退職者、後記のような不況対策等を考慮に入れ、整理人員、整理対象を検討した結果当時他に特に勤務成績の著しく不良の者もなかつたことから、勤続年数が短いという意味において他の者に比し債務者会社との縁がうすいとみられる昭和四八年一月以降雇入れた臨時工約一三〇名の雇止めを決定した。船橋工場では、このほか不況対策として、昭和四九年九月頃から時間外就業を縮減し、翌五〇年一月からその徹底をはかり、成績不良の臨時工との新契約を取りやめ、同年四、五月ころには余剰人員のうち若干名を本社、他工場へ転勤応援させ、同年一月頃内部決定した本工の業務休を五〇〇人に対し一人五日の割合で同年三月から実施し、同年二月から係長以上の職制に対し一〇パーセント前後の賃金カツトを行ない、更に、工場機構を統廃合して簡素化をはかつた。また、高砂工場でも昭和四九年一〇月に約五〇名、昭和五〇年二月に約四〇名の臨時工の雇止めを行い、その結果同工場では臨時工全員が雇止めとなつた。

以上の各事実からすると、債務者会社が本件雇止めを検討、決定、実施した昭和四九年一二月ないし翌五〇年初頭にかけての時期において、債務者会社の管球部門では、不況によるテレビの生産減の影響を受け、ブラウン管の受注が減少して赤字が累積し、従来どおりの機械設備、就労体制、人員構成のままで操業を継続するならば、同部門の業績不振に一層の拍車をかけることになることは明らかな状況下にあつたということができるのであり、債務者会社としても、かかる事態を回避するため、直ちに臨時工雇止めの方策を選択したのではなく、他の不況対策等をも考慮に入れ、余剰人員を更に削減したうえで、一三〇名を整理対象者としたものであることが一応認められるのである。

もつとも、成立に争いのない甲第六一号証、証人池谷忠敏の証言により真正に成立したものと認められる甲第八九、第一〇二号証によると、昭和四九年下期の債務者会社全体の純利益は四二億円の黒字であり、売上高も前年度を三九二億円上まわつたこと、同四九年下期の内部留保金は六一二億円に達し、同期の利益配当金も同年上期を上まわる二四億円余り(一六パーセント配当)であつたことの各事実を一応認めることができる。しかし、他方、前掲乙第三〇号証、証人小川正博の証言によれば、昭和四九年下期の税引利益四二億円は引当金の引当ての繰延べ、小額資産の固定資産への計上等の操作により一六パーセント配当可能な利益額として計上したものであること、昭和五〇年度の税引利益は五七億八〇〇〇万円で昭和四九年度の九八億五〇〇〇万円より四一パーセント減となり、その数額も有価証券および固定資産売却益約四六億円を計上することにより算出されたもので、株式配当も一四パーセントに減配したこと、債務者会社では昭和五〇年度より一年決算に変更となつたが、中間決算によれば同年度上期の税引利益は二六億三〇〇〇万円で、昭和四九年下期の四二億円に比し六三パーセントに過ぎないこと、このような利益の減少は船橋、高砂両工場の管球部門の不況が大きな要因となつていること、昭和四九年から昭和五〇年にかけては債務者会社の他部門でも不況による需要減退の影響を受けて操業を低下せざるを得なくなり、このため、例えば、板硝子部門においては、一部の窯の休止、五〇〇名の余剰人員の発生、関西、京浜両工場における業務休の実施等の現象をみたことが認められる。

このように、本件雇止め当時、債務者会社として全社的にみれば黒字経営ではあるが、極度に業績不振の管球部門をかかえており、しかも、その黒字も管球部門の不振が要因となつて漸時減少傾向にあり、その内容も純然たる営業収益に依存する度合が低く、また、他の部門も操業低下の傾向にあり外部からの配置転換者を受入れる余地もなかつたものと認めることができるのであるから、債務者会社が、累が他部門におよぶのを防止すべく、先ず管球部門内においてその業績回復をはかることとして、本件雇止めを含む各種の現実的な不況対策を講じたとしても、これをもつて不合理なものということはできない。

また、債権者らは、右経営不振は、遅くとも昭和五〇年五、六月頃には終止符をうち、同年後半には過去最高の生産高を記録するようになつたのであるから、債務者会社の不況はわずかの期間のもので本件雇止めを実施する必要性がなかつた旨主張するが、そうであつたとしても、前記のとおり業界一般は不況の長期化を予想していたのであり、証人田村忠臣の証言によれば、右のような業績回復は本件雇止めの決定、実施の当時には一般に予想の範囲を越えたものであつたものと一応認めることができるから、本件雇止め後の経営状態を以つて本件雇止めの必要性の有無の判断の一資料とするのは相当でない。

更に、債権者らは、本件の雇止めが債務者が不況に藉口して、いわゆる「合理化」を推し進める意図の下になされた旨主張するが、既に説示したところによれば右主張を採用することはできない。証人佐藤健の証言及び同証言により真正に成立したものと認められる甲第七四、第七五、第七九号証に右事実に副う部分があるが、前記疎明にかかる事実および成立に争いのない乙第三四号証に照らすと右証拠はいまだ疎明としては不充分であり、他に右事実を証するに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、債務者として、経営不振に陥つた船橋工場の業績回復の方法として本件の雇止めを実施する必要があつたものと認められる。

2  本件雇止めの対象者の選択等の合理性

(一)  本件雇止めにあたり、債務者会社が希望退職者を募集しなかつたことは当事者間に争いないところであるが、希望退職者募集が常に整理解雇実施のための有効要件とは解せられないだけでなく、既に疎明されたように、債務者が当初余剰員として予定された二〇〇名を一三〇名に減員したのは、自然退職者を見込んだことにもよるのであるから、実質上希望退職者を余剰人員から除外する配慮したものと一応認めることができる。また前掲乙第三一号証、成立に争いのない乙第三二号証および証人小川正博の証言によれば、債務者会社は前記のとおり船橋工場において若干名の配置転換をしたが、臨時工に対してはその措置をとらなかつたこと、その理由は既に述べた他部門の不況による受入難のほか、船橋工場の有期工、季節工はバルブ生産に従事させるため同工場限りで採用されたものであるためであつたことが認められる。したがつて、債務者が債権者らを含む臨時工につき配置転換の措置をとらなかつたのもやむを得なかつたものと認めることができる。

(二)  債務者は既に疎明されたように整理対象者を更新継続による通算二年以内という勤続年数の短い臨時工に限定したのであるが、右選択は、債務者の選択理由に加えて、一般的には勤続年数の長短は次期更新に対する期待感および収入に対する生活依存度に比例するものであることと既に述べた臨時工契約の性格に照らし、一応相当なものということができる。また、証人小川正博の証言によれば、債務者は整理対象者が雇止めにより被る経済上の不利益を少しでも回避するため、雇止め決定時に比較的接着して期間が満了する昭和五〇年一月末日および同年二月一五日契約終了者については、それぞれの期間満了時に所定の満期慰労金を支給したほか、更新をしないことを前提として、同年二月末日を終期とする一月又は半月間の短期の特別な労働契約を締結し右短期契約満了の際にも満期慰労金を支給し(但し、債権者蔵谷、同松信がこれらの特別措置を拒否したことは前記疎明のとおり)、また、雇止め対象者全員に所定の満期慰労金に加えて一時金一五万円、帰郷旅費を支給したこと、更に希望者には就職斡旋にもつとめ、一部の者はその斡旋により再就職をしたことが認められ、これらの補償措置も一応の評価し得る内容ということができる。しかし、これらの選択基準、金銭補償はいずれも一率であり、労働者側の個別事情を顧みていない点において合理性を欠く面を有することは否定し得ないところである。したがつて、昭和四八年一月以降に雇用された臨時工であつても、労働者側の個別事情(主として家庭事情)を勘案した場合に雇止めを不当とする場合にはその者に対する雇止めは無効とすべきである、この点は各人別の判断の項で再説する。

(三)  前掲乙第三一、第三二号証、証人小川正博の証言によれば、雇止めの通告にあたつては、船橋工場の労務担当者が対象者全員に個別的に雇止めの必要についての説明を行ない、その結果債権者ら一二名を除くその余の約一二〇名の対象者は雇止め通告に応じ、順次退職したことが認められる。この事実によれば、大部分の対象者は右説明により各自の臨時工としての地位、船橋工場の経営内容から雇止めをやむを得ないものとして受け止め、これに応じたものということができるから、債務者としては対象者に対し雇止めにつき納得を得る努力(それが整理解雇の有効要件であるか否かは別としても)をしたものと認めることができる。

3  個別判断(債権者池田、同藤田、同兼城、同菅原を除く)

(一)  前掲甲第九二号証によれば、債権者渡辺は本件雇止め当時更新回数二回、勤続期間九か月余りではあつたが、年齢三〇歳で妻と子供二人を抱えていたことが認められるから、同債権者の債務者からの収入に対する依存度は高く、失職することにより被る生活上の不利益は著しく大きかつたものと推認することができる。しかるに、債務者がこの点に思いを致さず他の者と全く同じ基準で対象者として選択して雇止めの意思表示をしたことは、社会観念上明白に相当性を欠くものといわざるを得ないから、右意思表示は権利の濫用として無効である。これに対し、他の債権者らについては全疎明によるも雇止めを無効ならしめるような個別事情を見出すことができない。

(二)  昭和五〇年二月一五日に契約期間が満了する債権者蔵谷、同松信については前記一に疎明されたように、債務者は、同年二月末日を終期とする短期の契約締結申込みが拒絶されたので、同月一五日右両名に対し労働契約の終了、および法定の予告手当の支払を通告したのであるから、これにより右両名の労働契約関係は終了したものと認めることができる。

(三)  昭和五〇年三月三一日に契約期間が満了する債権者葛西、同月一五日に契約期間が満了する同納谷、同年四月一五日に契約期間が満了する同早川、同佐藤、同川村については、前記一に述べたように、債務者は同年二月初旬から中旬にかけて契約を更新しない旨の雇止めの意思表示をなしたが、証人小川正博の証言によれば債務者は右意思表示を遅くも各人の期間満了の一月前には行なつたことが認められるから、右意思表示は労働基準法二〇条一項による「少なくとも三〇日前」の予告と認めることができる。したがつて、右各契約期間の満了により、右債権者らの労働契約関係は終了したものというべきである。

4  なお、債権者らは企業の維持存続が危機に瀕する場合でなければ整理解雇は許されない旨の主張をする。もとより、使用者として整理解雇は極力避けるべきではあるが、そのような事態にまで達しなくても、そこに至る以前にこれを回避するため、企業の合理的にして健全な運営維持の観点から、他の対策をも併用したうえでなお必要な措置と認められる場合には、これを許容せざるを得ないものというべきであり、既に疎明のあつた事実関係によれば、本件雇止めをもつて無効であるとまでいうことはできないのである。前掲甲第八九、第一〇二号証も未だ前記疎明をくつがえすに足るものではない。

五  以上述べたところによれば、債権者渡辺に対する雇止めの意思表示は無効であるから、同債権者と債務者との間には、同債権者の最初の契約期間満了日である昭和四九年一〇月一五日以後三か月ごとに債務者による更新拒絶の意思表示がなされない限り期間の定めを三か月とする労働契約が更新されるという法律関係がなお有効に存続しているというべきであり、かつ同債権者は前記疎明のように債務者からの賃金収入により自己および妻子の生計を維持してきたものであるから、同債権者の申請については、保証を立てさせることなく、債務者に対する右契約上の仮の地位を定め、かつ債務者に対し雇止め以降第一審の本案判決言渡に至るまで賃金の仮払いを命ずる限度でその必要があるものと認めるのが相当である。しかして、雇止め当時における過去三か月間の同債権者の平均賃金が月額一三万八三二三円であることは当事者間に争いがないから、主文第一、第二項の限度で同債権者の申請を認容し、その余の申請を却下し(主文第二項の六万九一六一円は雇止め後の昭和五〇年四月一六日から同月末日までの賃金である)、その余の債権者についてはいずれも前記のように契約関係は終了したのであるから結局その被保全権利につき疎明がなかつたことに帰し、疎明に代えて保証を立てしめるのも相当ではないから、その申請をいずれも却下し、(なお、債権者らは昭和五〇年三月以降の賃金の仮払いを求めているが、同月以降において契約関係が終了する債権者葛西、同納谷、同早川、同渡辺、同佐藤、同川村については契約関係終了まで賃金の支払いを受けているものと推認されるし、仮にその支払いが未了であつても、その額((半月ないし一か月半分))に照らして仮払いを認める必要性がないものというべきである。)、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松野嘉貞 東原清彦 片野悟好)

(別紙省略)

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